剣岳
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タイトル; 
「豊かさ」とは何か?
 平成23年年賀 作 

ずーっと振り返ると、私と私の生きた時代は「豊かさ」という語感の響きに憧れていた。金持ちになりたいと思ったことはないが、豊かになりたいと一途に生きてきたように思う。何時ごろからか、立ち止まって「豊かさとは何か?」と問いかける自分に気づいた。人生の折り返し年齢になった頃、最初の定義に出会った。選択肢が多くあること。昭和一ケタ生まれの私の父や母は、こんな生き方しか認められない、この道しか用意されていなかった時代。その時代の多くの人が自分の人生を諦め、流れに従い、涙を呑んだに違いない。 

一方私は、これもできるかもしれない、あれもきっとできると、多過ぎるほどの選択肢に包まれて忙しく立ち回った。やがて選択肢の影の面に踊らされて、身動きの取れない自分と日々が続いた。そして、最初の定義では物足りない、納得できない自分に行き着く。ある時、突然気づいた。「豊かさとはゆとりだ」と。まわりの友人を見て、たとえ年収が多くても、来る日も来る日もスケジュールに追われ、身動きできない生活はとても豊かとは云えまい。「豊かさとはゆとりでもあったんだ」と悟ったとき、自分をも納得させられ、多くの選択肢の中から諦める冷静さを知って、生活スタイルが変わった。 

 さていま、ケータイ・パソコンを始めとする様々なグッズ・商品が便利過ぎるほど進化し、私たちの生活の隅々まで被い、人間の悩んで培われるという能力と私たちの意欲が失われていく様子を見て、豊かさを推し量る物差しがまだあるのではないか、本当の豊かさとは何かと自分に問わずには居れなかった。私たち人間というのは頭だけで生きているのではない。足だけで生きているのでもないし、手だけで生きているわけでもない。心もあるし、身体もあるし、頭もある。頭も手も心で感じることも、目も耳も全部が同時に満足することが必要。何故なら、頭だけあるいは手だけを酷使して、ほかのところを顧みないと、人間は必ず病気になったり、健康な心と身体を失ってしまうような気がする。私たち人間は、全体で生きていて、全体を働かせ、全体を楽しませ、全体がひとつにまとまっていて幸せになることが豊かなこと、豊かな生活なんだろうと痛感する年始です。   

昨年度、多くの方にお会いでき、公私ともども大変お世話になりました。 

平成二三年が、平和で安全な年であることを願っています。 

本年もよろしくお願いします。    
                                司法書士 矢田良一