双六岳
戻る
 
タイトル; 
喜苦哀楽、巡ってゆく
 平成21年4月作


息子が義務教育を終える年頃になった。昔でいうなら元服、大人の仲間入りである。人生には様々な節目があるが、最初の大きな節目である。親として何か言葉を添えてやるべきなのか考えた。 

そこで私の当時と今日までの三十八年間を振り返ってみた。すると様々な道のりと紆余曲折が思い起こされ、一つの言葉があぶり出された。『喜苦哀楽』。私の勝手な造語であるが、その名のとおり、喜びと苦しみ、哀しみと楽しみが様々。そして喜びや楽しみよりも、苦しみや哀しみのほうが強い印象が残っている。悩んだ心の軌跡はまさに私の一生失われることのない財産である。しかも、苦しみや哀しみの中からこそ余りに多くのことが生み出されていたことか。 

人生にはいつも流れがあった。好調期にも過信、甘い誘惑という落とし穴がり、絶不調のどん底に陥った時には、自信喪失と人間不信という病がある。天国と地獄が巡っているようだ。いい高校から一流大学、そして一流企業に入っても、これで人生安泰なんてことがあり得ないことは、今では誰もが知っている。五十年余りの人生には休憩が何度も必要であった。深い休息の中からしか、人生の深淵・価値が見えてこないこともうなずける。辛い道のりであるが、再生への道のりでもある。挫折と再生を知る者にしか、人生の喜びがわからないこともある。 

さて、再び喜苦哀楽を思い起こしてみた。いくつになっても人間は、変化し続けるし、次々と見たこともない景色が目の前に現れることもわかった。そしてこれからも限りなく巡ってゆく。夢をゆっくり温めてゆく時も、不調・不幸から這い上がる時も、いつも流れと向き合うことになる。苦しさから逃げずに、「今できることを、一つずつ積み上げてゆく」。何ら才能を自分の中に感じたことのない私の場合はこれに尽きる。