槍ヶ岳
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明と暗を自分の中で組み立てられる力 

 平成22年1月 作

 年末、25年ぶりに山を歩いた。薄っすらと明るくなるのを待って、誰一人いない菅平のゲレンデから、標高2205mの根子岳(ねこだけ)中腹まで。ゲレンデから先の踏み固められていない新雪は、1000mほど進むのに、二時間かかった。氷点下8度の中でも、汗を掻いて、すぐに息が上がってしまう有り様。幸い帰りは、ショートスキーを履くから多少は楽。 

 いつ頃からか年末は、日頃読めない大作の世界に浸ることから、山あるいはスキー場で過ごしている。なかなかまとまった休みを取れない身、この時ばかりと年末の喧騒から距離を置きたいのかもしれない。つまりは、逃げ出したいのである。何故、雪の世界なんだろう。氷と雪に覆われてすべてが閉ざされた厳しい世界。砂漠のない日本では、最も過酷な自然の世界の一つに雪山が挙げられる。そしてそこでしか、感じ取れないものがきっとあるのだろう。ほんの半年前の初夏の根子岳は、緑豊かな瑞々しさに溢れ、真夏へ向けて、生き生きとした躍動感に満ち、まるで地上の楽園のよう。しかし、この時期、寒中に向けて氷点下20度を下回ることもあり、刺すほどの凍てつく寒さ。とても同じ山容とは思えないが、これもまた同じ山の別の顔である。 

 さて、この冬、再び登山靴を買った。ひとりの消費者としては、「値段が安くなるのは結構なこと」というのが普通の感覚。買い物の場面をクローズアップで見ればその通りだが、カメラを引いて日本経済をロングショットで見ると、画面の意味は一変。供給に対して需要が足らないから値下げ競争になり、それが続けば企業の収益は落ち込む。結果、設備投資は控えられ、従業員の賃金は下がり、私たちの雇用も危うくなる。わずか2年前と今冬と比べると、世相は様変わり。暇になって収入は激減した。だが、生活をロングショットで眺めると、夜遅くまで仕事に追われていた時よりも、自由な可処分時間が多くあって、生活は豊かになったようにも感じる。 

 冬の山では、明暗がはっきりしている。その時々の状況を好意的に受け入れたいという面と、それを受け入れたくないという対立する影の面の双方が存在することがよくわかる。森羅万象、いつも明と暗を見極める力、自分の中で組み立てられると一時のでき事に翻弄されることもないだろうにと。 

昨年度、多くの方にお会いでき、公私ともども大変お世話になりました。 

平成22年が、平和で安全な年であることを願っています。

                                             司法書士 矢田 良一