甲斐駒ケ岳  
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 復興は、合意か、
   スピードを優先すべきか?
  

平成25年5月 作 

3・11の震災直後の連休、自衛隊の車とパトカーの行きかう物々しい雰囲気の中、陸前高田から、南三陸、石巻へと歩いた。当時、同じ石巻でも天国と地獄が同居しているようだった。あれから2年と2カ月。 

いま、津波に襲われた地域では、石巻をはじめ、瓦礫の山が相当片付いた印象はあるが、何か新しいものが建ったということはない。ただ、瓦礫が片付けられ、見渡す限りさら地になって、何もなくなった印象だ。夜になると暗いままである。海のそばで暮らしていた人たちは、基礎だけ残った我が家の敷地をみて、ここに戻ってくることを考えて、いま仮の住まいに暮らしているのだろうか、それとも新しい土地で生活をスタートさせているのだろうか。今年3月の段階で未だ31万5千人が避難生活を強いられている現実。 

2年経ってこのあり様では、これからの復興の道のりの長さを想わざるを得ない。復興を巡り、行政と住民の意見の食い違い、さらに住民同士の意見の対立がその歩みを遅らせているという。 

復興は、たとえ時間がかかっても合意に基づいて進めるべきか、それとも合意が得られなくてもスピードを優先すべきか? 

想定外のことが多く、正解が何かは不明である。だから前に進むことが重要で、前に進むことを恐れない勇気が必要であるという意見もある。また、たとえ合意が得られたとしてもそれが最良の結果とは限らないし、実際全員の合意を得ることは不可能に近い。全員の合意を求めていたら、何もできないという意見もある。 

津波の被災地は、地域社会をどのように再建するかという深い問題であり、合意は得られずとも、納得は必要だろう。海のそばで住み続けたいという人もいれば、それは過去の教訓を学んでいないと非難されることにもなる。安全のために高台へ集団移住すべきだという人もいれば、生まれ育った故郷を離れたくない人もいるという。 

ハーバード大学「白熱教室」のサイケル・サンデル教授はこう言ってみえた。復興を巡っては激しい意見の対立、価値観の大きな違いがあり、十分な議論と理解の共有が必要である。復興の道のりとは、相手の意見との違いを認め合う中で、納得と理解に向けて議論を重ねていく長く辛い営みである。そのプロセスは、私たちが「どんな社会を求めているのか?」という民主主義のあり方を問う根源的な設問であると。 

                                               司法書士 矢田良一