多田富雄 (ただとみお、昭和9年生まれ)
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タイトル; 
生き切るとはどういうことか? 最期までこうありたいという想いを実現することであると、身をもって教えてくれた。
 平成26年10月作

世界的な免疫学者にしてエッセイストの死因は前立腺がんですが、脳梗塞で倒れてから、9年間のリハビリ生活を続けていました。

平成13年、67歳の時、旧友との食事の際、「ワイングラスがいやに重い」と感じ、その翌朝に意識を失う。気がついたときには右半身麻痺となり、言葉を発することができなくなっていました。 

想像してみてください。≪お手洗いに行くにも人手を借りなくてはならない。一人でズボンも下ろせない、歯みがきも食事も一人ではできない。髪もとかせない。そんな生活を一生送らなくてはならないのか。・・・・妻や子にお別れの言葉をいえずに死ぬのだ≫と。

身綺麗にしていることも不可能。喉の麻痺によって絡んだ疾を切ることもできず、ひとさじの粥すら飲み下せず、声も出せない。 

普通はそこで終わってしまうところです。しかし、多田富雄は壊れてはいませんでした。ある日、右足の親指が動いたとき、≪もし機能が回復するとしたら、元通りに神経が再生したからではない。それは新たに創り出されるものだ≫と。 

平成22年4月、76歳で亡くなるまでの9年間、声と利き腕を失った多田は、リハビリにも励みながら、パソコンを学んで左手で打ち、五〇音の出る音声装置を使い、以後14冊の書物を著わす。 

≪高齢者は、リハビリをしても、目立った改善は望めない。しかし麻痺した体は、定期的にリハビリ専門家による訓練とメインテナンスを受けなければ、動けなくなってしまう≫と。 ≪知ること、発見すること、それを感動をもって知らせることは科学者、芸術家に共通した喜び。書かなければ発見したことになりません≫とも語ったという。 

≪健康なときだけがその人の人生であり、病はその人らしい人生を損なわれた「特殊な一時期」ではありません。病んで、これまで持っていたものを失って、死に近づいていくその一瞬一瞬まで含めて、その人の人生なのだ≫と多田富雄は語っています。

「生き切る」とはどういうことか? 

身をもってそれを教えてくれた多田富雄の壮絶な終わり方が、示してくれました。 

【略歴】
世界的な免疫学者にしてエッセイスト、東京大学名誉教授 67歳の時、滞在先の金沢にて脳梗塞を起こし、一命は取り留めたが、右半身不随となり声を失う 

声と利き腕を失った多田は、9年間のリハビリ生活の中、パソコンを学んで左手で打ち、五〇音の出る音声装置を使いこなし、以後14冊の著書を著す

平成22年、前立腺がんで76歳にて死去