司法書士 矢田事務所


野寺町内会

四季の雫

№133./仲むつまじい夫婦の孤独死!

 

どんな高齢者が孤独死につながる恐れがあるだろうか。

世間付き合いをしない高齢者、普段だれとも話をする機会の少ない孤立した高齢者が孤独死する定番であろう。しかし、驚いたことに仲むつまじい夫婦が孤独死する可能性が高いという。それは何故か。

二人だけの世界ですべて満たされてしまうからだという。二人以外の人間関係が必要ないのである。二人で生活している間はそれでいいが、一人見送って遺された配偶者は悲惨であるかもしれない。二人の関係が余りにも思いで深く素敵だったから、今さら新しい人間関係を創り上げる気力がこないのである。取り残された人は悲惨である。孤独死する可能性が非常に高くなってしまいます。哀しい現実である。

                                          2014/05/11

№132./あれから丸4年
2099

 

あれから丸4年。時代を区切るような大きな出来事で、私たち日本人は、何を学んだんだろう。いまだ故郷を追われ、避難生活を送る人は、約22万9千人。苦しみながらも復興が進んでいる地域と復興が進まない地域の差の正体は何だろうか。

いち早く原発推進から自然エネルギーに全面的切替判断をされたドイツのメルケル首相に、もう一日、日本に滞在して福島を見てほしかった。

                                             2014/03/11

№131./サラリーマン川柳

 

還暦を迎え、一段と疲れを感じやすくなりました。 

哀愁漂う「サラリーマン川柳」に我が心境を重ね、4句紹介します。 

今の心境は、『帰り道 スマホと私 電池切れ』 

近い将来の心境は、『レジェンドと 呼ばれる事なく 引退に』、『子は飲み会 妻はお茶会 オレ自治会』、『アー引退 これから妻が 我が上司』  

                                             2014/02/28

№130./人にはどうして家族が必要なのでしょう

 

   

1月に読んだ本『人にはどうして家族が必要なのでしょう』にこんなフレーズがありました。 

そもそも人間は時間をかけて食事をともにすることで、家族と共同体の文化を築いてきた。しかし、いま私たちは「無駄に時間を使う」余裕を失っている。「相手に対する優しさというのは、時間をかけなければ生まれてこない。」   

すごく気持ちのいい言葉です。 2015/02/11

№129./今年はどんな年に?
日本記者クラブ

 

1月は駆け足の如く、去っていく。それだけ、春に近づいている。 

「今年はどんな年に?」の年始恒例の日本記者クラブ2015年予想アンケートより。 

①今年の12月31日現在のわが国の首相は誰か?  

②年内にプーチン露大統領が訪日するか?  

③日本人がジャンルを問わずノーベル賞を受賞するか?  

④戦後70年、オバマ米大統領が広島か長崎を訪問するか?  

⑤テニスの錦織圭選手が4大大会のいずれかで優勝するか?  

⑥野球・ソフトボールが東京五輪で正式種目に復帰することをIOCが決定するか?                                                        2015/01/15

   
№128./言葉のマジックと戦略

 

「言葉」の表現は不思議である。  

以前「国民総背番号制」を導入するか否かで、世論を二分していたが、結局導入は見送られた。政府による国民の管理に抵抗があったからであろうし、情報管理の事故でもあったら大変だからである。 

ところが、不思議なことに「マイナンバー制度」の導入という名前で再び復活し、可決・成立し、2016年から導入される。 

また最近、東京電力は事故対応の会見で、「事故」という表現を使わず、「事象」に言い換えて説明を行っている。300トンにも及ぶ汚染水漏れなども「事象」と表現されたが、原子力規制委員会はのちに「これは事故」と指摘した。 

トラブルの処理等に対して、うまくいかないときや真正面から向き合う勇気がない場合には、言葉の対応を言い換えて問題がないかのようにふるまって乗り越える方法もあるんだと感心します。2014/08/03


№127./侍魂、青く清く!
no title

 

サッカーサムライジャパンが、日曜日の朝、初戦コートジボワール戦に完敗し、多くの日本人が落胆した。第3戦には、さらに強いコロンビア戦が控えているから、決勝トーナメント進出は、赤点滅どころか、ほとんど不可能に近い。これを決勝トーナメント進出ができなくて嘆くか、あるいは未だ2戦残っている。あと2試合楽しむことができると捉えるかで、いまからの10日間のその人の生活に明暗が分かれる。 

しかし、あの敗戦のあと、日本人応援団が試合後、ごみ拾いをしていた様子の写真が、インターネット上で公開され、称賛を浴びているという。代表チームの色「サムライブルー」にちなんだ青色のごみ袋を振りながら応援し、敗北が決まった瞬間、天を仰ぎ凍り付いていた日本人が、その後、落ちていた飲食物の包装紙や容器などを拾い、ごみ袋に入れ始めた。中南米のある男性は「負けた後のスタジアムを清掃するなんて。日本人はすごくかっこいい」とつぶやいたという。サポーターに拍手だ。2014/06/17 


№126./詩人・高階杞一さん著『千鶴さんの脚』 
千鶴さんの脚

<雨の日は好きじゃないけど/雨上がりって好き/道も木もきらきらと輝いて/とってもきれいに見える/雨って/神さまの洗濯かしら> 

詩人・高階杞一(たかしなきいち)さんの近著『千鶴さんの脚』(澪標(みおつくし))に収められた「雨上がり」だ。黄金週間の最中なのに、あいにくの雨。楽しみにしていた行楽もままならず、あちこちの家庭で、子どもたちのため息が漏れたかもしれない けれども、この季節の雨の美しさは格別だ。初々しい木々の葉が春の雨に打たれれば、赤ちゃんが湯あみをしたかのように輝き出す。雨が上がれば、森も街もそれこそ神さまに洗濯してもらったかのような顔を見せる 

高階さんの「雨上がり」では、こんな物語が始まる。<昨日 お母さんに言われた/自分のものぐらい自分で洗濯しなさいって/お母さんは何を怒っていたのだろう/わからないけど/お母さんにも時折どうしようもなくつらいことがあるんだと/そのときわかった> 

いつも家族をあたためてくれるお母さんの心の曇り、雨。詩は続く。<これからはたまには洗濯をしよう/自分の分だけじゃなく/みんなの分も/神様だってそうしてるんだしね> <そうして/帰ったらお母さんに言おう/今日 とってもいいことがあったの って/何って聞かれたら/神様の洗濯 って答えよう/お母さん/笑ってくれるかな>。母の日も、もうすぐだ。                              平成26年4月30日付中日春秋より

№125./桜も散った!
Dscn1029

花見も終わった。桜も散った。少し清々する。あのソメイヨシノが咲き誇っている間は、何故か落ち着かない。花の命は短く、早く花見に行かなければと、わけのわからない強迫観念に駆られる。 

繊細で優しげな非の打ち所のない薄紅色(うすべにいろ)の姿が私の心を惑わすのである。春は落ち着かないのだ。しかし、そういうソワソワした気持ちも葉桜の頃になるとホッと落ち着いてくる。早く葉桜になってほしい。悩める友よ、もうしばらくですよ。     2014/04/14


№124./春眠暁を覚えず
Nemui300

この季節の眠りは1年で最も心地よい。ついつい寝過ごしてしまう。 テストの前夜のにわか勉強、この続きは明日の朝早く起きてやろうと。しかし決まって起きれず、寝過ごしてしまう。そして後悔し、自己嫌悪に沈む。 

しかし、寝過ごせる幸せがある。“また寝”ができる幸せはもっと大きい。ある年齢を過ぎると、寝過ごすこと、“また寝”ができなくなる。すると蒲団の中で苦しい数時間を過ごす。一層起きてしまったほうがいいくらいである。だれもが眠る早朝のひと時は、誰にも邪魔されない自分だけの時間を創れるからだ。“また寝”できる幸せと自分と向き合う厳粛な時間をすごす幸せ、どちらも甲乙つけがたい。 

一番大切にしたいものは、食欲。普通に出される食事を美味しく食する力。いつまでも持ち続けたい欲望であるが、二番目に大切にしたいものは、睡眠欲。ぐっすりと眠りの世界で培われる力が失われてしまったら、ほとんど重病だ。 2014/3/30    


№123./センバツが始まる
http://www.theme-music.net/sports/baseball/img/bb100.jpg

春のセンバツが始まる。このセンバツという響きが好きである。春が来たことを実感させてくれる。 3年前のセンバツ、開会式の選手宣誓。 あの朝、創志学園(岡山)の野山慎介主将の選手宣誓を聞きながら、涙が止まらなかったのは、私だけではない。 今年はどんな宣誓が披露されるだろうか。 2014/03/18 2011年3月23日甲子園の開会式より 私たちは16年前、阪神・淡路大震災の年に生まれました。 今、東日本大震災で、多くの尊い命が奪われ、 私たちの心は悲しみでいっぱいです。 被災地では、全ての方々が一丸となり、 仲間とともに頑張っておられます。 人は仲間に支えられることで、 大きな困難を乗り越えることができると信じています。 私たちに、今、できること。 それはこの大会を精一杯元気を出して戦うことです。 「がんばろう!日本」 生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。                    2014/3/18


№122./お節!

このお正月料理の響き、日本語の美しさの象徴である。

見た目がまた美しい。しかし、その味は、冷めた料理というイメージからか、お世辞にも美味しい想い出はない。お正月くらいは、奥様もゆっくりしたい気持ちから考え出された昔の人の知恵とずっと思っていた。ところが、お節料理には新年の願いがこもっていた。お節は願いを込めた料理であった。黒豆は今年もまめまめしく働けますように、数の子は子孫繁栄、叩きごぼうは根を張って生きていけますように、昆布は喜んぶ、睨み鯛はお目出たいの語呂合わせ、海老は腰が曲がるまで長生きを、そしてきんとんはお金が儲かりますようにだ。お節は様々な願いを年の初めの料理に込めた昔の人の生活の知恵であったのだ。今年も平和で安全な年でありますように。                                              2014/1/1


№121./年末年始の過ごし方

今年の年末年始は例年になく、長い。遠くへ出かけたくなる。子どもたちが着いてきた頃のようにスキー場で過ごせたらいいが、今では要介護高齢者を二人抱えている都合上、それも叶わず。年末の過ごし方は難しい。現実の喧騒としがらみから解放されて、非日常性の中に身を置いて、心も身体もリフレッシュしたい。これはもう、独身時代のように歴史上の人物に逢いに行くしか、大作の世界しかない。三国志の曹操・劉備玄徳、戦国の信長・秀吉・家康、明治維新の竜馬・西郷に逢いに行こうか。それとも、故山崎豊子を偲んで、『沈まぬ太陽』・『運命の人』でも挑戦しようか。                               2013/12/25

 

№120./作家山崎豊子さんのご冥福を
http://msp.c.yimg.jp/image?q=tbn:ANd9GcQSZlmiRaL7p-UcEu6ufH1EG_yNJqkmg43V8TMp2CSl_qfTIwWyu0wYsx4:http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/0d/3e/yakkogacha/folder/477761/img_477761_7473846_0

週刊新潮に『約束の海』を執筆中の山崎豊子さんが88歳で亡くなられた。私にとって大切でかけがえのない作家。白い巨塔に始まって、女系家族・華麗なる一族・二つの祖国・不毛地帯と、彼女の作品なしでは二十代を乗り越えられなかった。いまでも私という存在の一部である。司馬遼太郎氏に『日本人とは何か』という壮大なテーマがあったように、山崎豊子さんには「戦争を生き残った者として何をなすべきか」というテーマがあったという。多くの作家が、執筆というライフワークの中にテーマをもっている。彼女には心から感謝、感謝です。山崎豊子さんのご冥
福をお祈り申し上げます。                        2013/10/18 

 
№119./わらび座公演 手塚治虫原作のミュージカル『ブッダ』

悩み、苦しみながら歩み続ける人間・ブッダの姿を描き、「人間はなぜ生きるのか、なぜ生き続けなければならないのか」という生きる意味を観客に問いかける作品です。時々生きる意味を問い続ける生き方も良し、生きる意味を問い続けることなく幸せに生きる生き方も良し、双方ありですが、現実の世界では、事故や震災など不条理な災難に引きずり込まれ、迷路に迷い込むことももあります。秋は、誰をも詩人や悩める哲学者にします。時には立ち止まって、「生きる意味」と向き合ってもいいテーマです。  

9月22日(日)安城市民会館サルビアホール 6時開場、6時30分開演 A4,500円です。是非、ご夫婦・ご家族でご来場ください。                2013/09/07 


№118./晩夏の感傷
クリックすると新しいウィンドウで開きます

カエルの合唱で始まった夏、夜空を焦がす打ちあげ花火、さらさらとした砂の感触の海水浴、数千年と変わらない響き蝉時雨(せみしぐれ)、非日常性のなかで自分の時間を取り戻す避暑地、楽しくて淋しいキャンプファイアー、切ないホタルの舞い、純白で雄大な入道雲、そして大切な人を見送った初盆。晩夏とは一抹の感傷に浸る季節。この夏、いくつ夏を過ごしたろうか。                                      2013/08/31 


№117./死者の無念が遺したものは?
クリックすると新しいウィンドウで開きます

引続き、復興ソング『花は咲く』に添えて。
変わりたい自分もいた いまはただなつかしい あの人を思い出す 私は何を残しただろう・・・・」 
日本の8月は、戦争と平和を考える月、死者の無念と無念の涙を噛みしめる月である。今は平和であるが、先の戦争で310万人が亡くなり、国策のため、多くの日本人が無念の死を遂げた。亡くなった方々の無念は何を遺したのだろうか? 何を生んだのであろうか?   2013/08/21


№116./今再び、復興ソング『花は咲く』
クリックすると新しいウィンドウで開きます

震災で亡くなった方々にとって3度目の夏を迎える。復興ソング『花は咲く』。何度聞いたろう。何度見たろう。鈴木京香と西田敏行の哀しい表情。 
「私は懐かしい あの街を思い出す 叶えたい夢もあった 私は何を残しただろう・・・・ あの歌の歌詞は、震災で亡くなった2万人の人々の無念の想い。だから、哀しい眼差しで、口ずさむとひとりでに涙があふれていた。 
8月は死者を迎い入れ、死者と通じ合い、死者を見送る月。仙台で被災した宗教人類学者、山形孝夫さんの言葉を借りると、「いま、死者の語りを聞くこと」、「生き残った者は、死者の無念を自分自身の生き方として受け止めなければならない」と。          2013/08/13  


№115./セミという楽器と夏の風物詩
クリックすると新しいウィンドウで開きます

気の遠くなるような蝉しぐれは夏の風物詩。その轟(とどろき)は、ときに風に乗って数キロ先にまで届くかもしれない。なぜ、あんな小さな体つきなのに、大きな声を出せるのだろう。ファーブル昆虫記に、セミが大声を出せる秘密が詳しく記されているという。音源の「シンバル」と、音が共鳴する広い「教会」が、おなかの中に仕組まれているそうだ。発声に関わる器官が体全体の4分の1も占める。まるで楽器のような、鳴くために生きる小さな命。そして、鳴くのは雄だけ。雌は黙って待っている。与えられた日数は短い。雌を求めて、泣き叫んで、雄は必死に自分の存在をアピールしている。あの蝉しぐれに聞き入っていると、千年も変わらぬ響きに聞こえてくる。西行も芭蕉もこの同じ蝉しぐれ中で短歌俳句をつくっていたんだと。   2013/8/5


№114./ニューヨークの「17年ゼミ」の大合唱
Photo

今年、ニューヨークは賑やかであったという。アメリカ東部、全長1400キロにわたる広範囲に生息する周期ゼミの一種「17年ゼミ」が、数十億匹の大合唱を地上に鳴り響かせたらしい。このセミは、黒い体色と赤い目、オレンジがかった羽が特徴で、地中で17年を過ごした後、成虫になり、5月後半から6月にかけての1~2週間の間、耳をつんざくような協奏曲の中で交尾し、産卵し、死んでいく。そして、この周期ゼミの子孫が次に見られるのは17年後の2030年だという。気の遠くなるような話と轟音(ごうおん)の蝉しぐれだ。変化に富んだ繊細な日本の風土と異なり、大陸の自然は、想像もできないくらい規模が大きく大胆だ。
                                     2013/8/2 


№113./お日様に恋した向日葵(ひまわり)
http://r01.isearch.c.yimg.jp/image?id=16827b23c1be4b3378facbf116e649ee

どんなに厳しい暑さにも負けず、いつもお日様に向かって咲いている逞しいひまわりにも切ない伝説があった。それは太陽神・アポロンにまつわるもの。アポロンとはゼウスの神の息子で、双子の妹に月の神・アルテミスがいる。彼は、まばゆいばかりの金髪と美しい顔と、均整のとれた肉体美、その上、たぐいまれなる竪琴と笛の名手でした。のちに、音楽、詩歌、算数、医術、そして予言の神としても崇められた太陽神なのですが、それゆえか、父・ゼウスに負けず劣らず、恋多き神としも有名。あるとき、アポロンは水の精クリュティエと恋に落ちる。しかし、それはクリュティエにとっては叶わぬ片思いの恋。悲しく泣いてばかりの彼女はアポロンが日輪車で東の空に昇ってくるのをひたすら待ち続け、天の道を翔(かけ)る彼を目で追いかけては、毎日、毎日、西の空にその姿が見えなくなるまで追い続ける。そして、ついに9日9晩たったとき、とうとう彼女の足は地面に根付き、顔は花に変わってしまったという。太陽神アポロンに恋いこがれて、彼を見つめ続けた少女の化身が、「ひまわり」になったのです。そんないわれがありますが、おひさまに向かって咲くその姿は、見ているだけでも元気を与えてくれる気がします。 
                                   
 2013/07/21 


№112./切ない想いはいま?
クリックすると新しいウィンドウで開きます 年に一回、七月七日の夜に牽牛(けんぎゅう)星と織女(しょくじょ)星が天の川を越えて出会う七夕伝説。日本人の誰もが知っているロマンチックな話。カルピスのアンケートによると彦星(ひこぼし)と織姫(おりひめ)が夫婦だと正しく理解していた人は1割もなく、9割超が恋人と誤解していたという。2人は働き者だったが、結ばれてからは、機織りと牛飼いの仕事を怠けるようになり、天帝のお怒りを買って引き離されたそうである。 

年に一度しか逢うことが許されないとは、どれほど切なく想いが募るだろうか。それも晴れなければさらに一年持ち越しになる。いまの世であれば、携帯がある。すれ違いはない。遠くに引き裂かれ離れていても話ができる。便利になったけれど、何かが失われてしまったように感じる。
                                     2013/07/07 


№111./沖縄戦の戦没者追悼式
クリックすると新しいウィンドウで開きます

全国でいち早く梅雨が明けると、毎年沖縄では戦没者痛む追悼式がある。沖縄戦の全戦没者を悼む「慰霊の日」追悼式で、日本のいちばん西にある小学校、沖縄県与那国町立久部良(くぶら)小1年の安里有生(あさとゆうき)くん(6)が、自作の詩を一生懸命読み上げた。最近ひらがなを習い終えたばかりの有生(ゆうき)くん。県平和祈念資料館が募った「平和のメッセージ」に寄せられた1690点の中から選ばれたそうです。素朴で単純な気持ちにこそ、本来求められる真実があるのかもしれませんね。 

『へいわってすてきだね』  

へいわってなにかな。/ぼくは、かんがえたよ。/おともだちとなかよし。/かぞくが、げんき。/えがおであそぶ。/ねこがわらう。/おなかがいっぱい。/やぎがのんびり あるいてる。/けんかしても すぐなかなおり。/ちょうめいそうが たくさんはえ、 よなぐにうまが、 ヒヒーンとなく。/みなとには、 フェリーがとまっていて、 うみには、かめや かじきがおよいでる。/やさしいこころが にじになる。/へいわっていいね。/へいわってうれしいね。/みんなのこころから、 へいわがうまれるんだね。/せんそうは、 おそろしい。/「ドドーン、ドカーン」 ばくだんが おちてくるこわいおと。/おなかがすいて、 くるしむこども。/かぞくがしんでしまって なくひとたち。/ああ、ぼくは、 へいわなときに うまれてよかったよ。/このへいわが、 ずっとつづいてほしい。/みんなのえがおが、 ずっとつづいてほしい。/へいわなかぞく、 へいわながっこう、 へいわなよなぐにじま、 へいわなおきなわ、 へいわなせかい、 へいわってすてきだね。/これからも、 ずっとへいわが つづくようにぼくも、 ぼくのできることから がんばるよ。   2013/06/23   


№110/梅雨は青春の憂い

今年は雨が少ない。空梅雨の模様なのか、梅雨入り宣言が下されて以来、20日も経つのにほとんど雨に恵まれていない。紫色の紫陽花(あじさい)がすっかり冴えない。雨に濡れていてこそ、生き生きとして美しく映る紫陽花。春夏秋冬の四季を人の一生に例えるならば、6月の梅雨はさしずめ青春の憂いであろうか。青春の憂いは先送りしないほうがいい。憂いとの出会いを中年の憂いにしてしまったら、始末が悪く、重症となる。青春時代には憂いも必要で、それを経てこそ、味わいのある豊かな人生といえそうである。    

                                                       2013/06/14


№109/香り豊かな5月
クリックすると新しいウィンドウで開きます

春の短いヨーロッパでは、やっと温かくなる5月一斉に花が咲き、メイフラワーといわれる。日本では、風薫る5月、新録の香り豊かな時期です。毎年この時期、グランドホテルティアラの玄関先の白いジャスミンも満開になる。天然ものは、とても香り良く、これぞジャスミンの香りです。朝起きて、最初に外の空気を吸った時、すごく気持ちがいい。この時期の空気の美味しさは季節の恵み、満喫したいものです。                              
                                                        2013/05/13


№108/花水木の悲運な伝説

花水木の木が公園や庭先で新録に輝いて、美しい花を咲かせている。この木には、欧米で『ハナミズキの伝説』という悲しい物語があるという。曰く、この木がとても固く強いことから、キリスト磔刑の十字架に使われたという。そして、そのことを悲しく思ったハナミズキは、以後十字架に使われないように、自ら大きくならないことを決め、まっすぐ伸びないようになり、また、自分の悲しい役割を忘れないように、花が十字になり、花びらの先端にはキリストの手足を貫いた釘の傷跡のように血の色を残したという。日本にも、花水木は悲運な時代があった。戦前、日本が米国に贈ったサクラの木の返礼として米国から贈られてきた「親善の木」あった故、先の戦争の頃、「敵国の木」として伐採されたという。しかし、悲しく悲運な伝説とは裏腹に、いまこの木、年に三回私たちを楽しませてくれる。美しく咲く白い花、秋につける真っ赤な実、そして紅葉も見事。庭先におってほしい木ですね。 
                                                       2013/04/30
                                                              


№107/谷川俊太郎氏の詩『そのあと』
クリックすると新しいウィンドウで開きます

震災からまる2年、震災被災者にとって、激流のような2年が過ぎていったことだろう。ことばを失ったままの人、時間が止まったままの人。谷川俊太郎さんの3月の詩『そのあと』が、静かに私たちの魂に迫って来る。 

〈そのあとがある/大切なひとを失ったあと/もうあとはないと思ったあと/すべて終わったと知ったあとにも/終わらないそのあとがある/そのあとは一筋に/霧の中へ消えている/そのあとは限りなく/青くひろがっている/そのあとがある/世界に そして/ひとりひとりの心に〉。被災者の誰もが、そのあとをゆっくり生きている。
                                      2013/03/18

№106別れの季節
クリックすると新しいウィンドウで開きます
 五人ばやしの笛や太鼓にせかされて、足早に二月が過ぎていった。浅い浅い春を、冬の底から育ててくれた2月には、感謝で一杯。明けて3月は別れの季節。淋しく、辛い別れのシーンがいくつか待ち構えている。しかし、それを受け入れないと新しい出会いの季節、4月が始まらない。考えてみると、人生は3月と4月の繰り返し、巡り合いの積み重ねである。その度に喜怒哀楽して。そしてどの別れもどの出会いも何れ財産となっていく。
                             2013/03/03  
№105/詩人・柴田トヨさんのご冥福を祈る
クリックすると新しいウィンドウで開きます
<ポットから 注がれる お湯は やさしい 言葉のようだ 私の 心の角砂糖は カップのなかで 気持よく 溶けてゆく>  <私ね 人から やさしさを貰(もら)ったら 心に貯金をしておくの さびしくなった時は それを引き出して 元気になる あなたも 今から 積んでおきなさい 年金より いいわよ>  <陽射(ひざ)しやそよ風は えこひいきしない 夢は 平等に見られるのよ>  <やさしさの インフルエンザ 流行しないかしら>  


詩人・柴田トヨさんが、1月20日101歳で亡くなられた。明治、大正、昭和、平成の1世紀、空襲やイジメ、うらぎり、さびしさから「死のうと思ったこともあった」という、そんな人生が積み重なって、初めて生まれた詩集『くじけないで』『百歳』からの引用です。トヨさんの詩はまるで疲れた人の体を温め、のどを潤すためにポットから注がれるお湯のようです。  2013/01/24 
 
№104クリスマスの歌
サンタクロース人形 プレゼントのフリー写真素材 wno0049-049 もうすぐクリスマス、いたる所でクリスマスステージがある。クリスマスの歌をいくつ知っていますか。あわてんぼうのサンタクロース・赤鼻のトナカイ・聖夜・もろびとこぞりて・もみの木・あら野のはてに・さやかに星はきらめき・ママがサンタにキスした・サンタが町にやってくる・ジングルベル・・・・・・。クリスマスの歌は、どれも心を和ませ、優しくて、この時期私たちを温かく包んでくれる。クリスマスの歌を幾つか歌えることは、一生の財産です。 2012/12/20
 
 
No.103/読書の秋
 書の秋がやってきた。多くの大人が思春期の子どもたちに薦めたい本があると思う。私も息子娘に薦めた、いまでも感動の余り泣けてしまう3冊の本がある。もし、思春期の頃にこの本に出会っていたら、私の十代はもっとのびのびと過ごせたに違いないという本です。そのベストスリーの3番目は、川上健一著の『翼はいつまでも』。中学校が舞台で、気持ち良く読み進んでいると、いつの間にか大きなうねりの中に巻き込まれ、押し寄せる感動で胸がいっぱいになる。そして最後では、感動が気持ち良く身体を突き抜けて昇華していく。そんな作品です。自分に自信がなくて、いつも周りが気になって、置く手の普通の中学3年生が、ある事件、音楽との出会いから、勇気が生まれ、自分を変えていくストーリィ。ただ、あんなに気持ち良く、清々しい気持ちになる作品はあまりない。ごく普通の子が、変身する醍醐味っていいです。ストーリィ自体、格別のものはありませんが、感動は計り知れなく、泣けてしまう。是非お薦めしたい一冊です
2012/10/04
 
№1022010年の熱い夏・・・・
 決勝トーナメント1回戦の120分の攻防の平均視聴率57・3%。ワールドカップの人気がうかがえるが、果たして自分とどんな関係があるのだろう。どうでもいいことと思えることもある。スポーツ観戦の醍醐味は、華麗なるプレーを観ることもあるが、もっと心を揺さぶられることがある。ライブで応援しながら、ハラハラドキドキと、あの感激をいっしょに味わい、いっしょに舞う。あの悔しさにいっしょに涙を堪え、落ち込む。となりに同じ方向をみる人がいて、この瞬間の一喜一憂を分ち合い、共有できる喜びに尽きる。人生は一人では愉しめないのである。2010年に自分は何をしていただろうか。ずっと後になって思い出そうとするとき、オランダが、スペインが初優勝したことではなく、あの年、本田と長谷部率いるサムライジャパンが決勝トーナメントでパラグアイと死闘を演じたゲームに立ち会ったというふうに。 2010/07/03    
  キングプロテア(南アフリカの国花)

№101虹の国と虹の季節
 急に降り出した雨が止んだあと、ちぎれた雲の合間に虹が現れる。たちまちのうちに消えてしまうが、しばらくの間、気持ちが爽やかに。虹は、太陽光線と空気中の水滴粒子と屈折がつくるといわれている。通常、太陽の反対側の空に弧を描くようにかかり、内側から紫、藍、青、緑、黄、榿、赤の七色に並ぶ。朝、西の空にかかる虹は「朝虹」と呼ばれ、雨を招く。夕方に東の空にかかる虹は「夕虹」といい、晴れの兆し。『虹の国』といわれる国がある。多くの人種が寄り集まって国をつくる。いまその虹の国で、オリンピックさえしのぐ熱きスポーツの祭典が開催されている。今まさに虹の季節でいよいよ佳境に入る。がんばれサムライジャパン。 2010/06/28
  虹

№100サッカー派? それともバスケ派?
クリックすると新しいウィンドウで開きます  ワールドカップサッカーとNBAバスケ。目まぐるしく展開し、100点前後を競い、1点の重みの軽いせっかちなバスケットボールはアメリカ人好み。片やなかなか点が入らない退屈さを併せ持つが、一時も目を離せない忍耐強いサッカー。気晴らしどころかストレスが溜まってしょうがない。あなたは、サッカー派? それともバスケ派? いや、その中間の間合いを大切にする野球派ですか。  2010/06/18
 サッカーワールドカップ

№99バラの園
 奥殿陣屋(旧奥殿藩陣屋跡/岡崎市の岩津天満宮のさらに上)のバラまつりが満開(今月27日まで)だという。一度当たり一面、バラの園とやらに行ってみたい。美しいバラは男に例えたら、さしずめ二枚目。江戸時代の芝居小屋では、看板や番付の一枚目に座頭や主役、二枚目に色恋を演じる色男役、三枚目に滑稽な役回りをする道化師の名が記されたという。しかし、美しいものには、トゲがある。近づき過ぎたり、独占しようものなら、大ケガをする。人間にも、余りに近づき過ぎると破綻するが、距離を置いて付き合うといい関係を保てる人っていますね。バラも美人も二枚目も眺めることがベストでしょうか。  2010/06/12
  バラ

№98一本の巨木
 近所の境内に一本の巨木がある。風の強い日は、やかましいほどそよぐ。6階のビル位の高さを誇るから、きっと樹齢数十年どころではなく、数百年、ずっとその同じ位置に佇(たたず)んでいるんだろう。私たちは嫌なら、飛び出してゆくことも可能である。何があっても、かくも長き、一つのところから動かない巨木の哀しみと喜びはどれほど深いものであろうか。今年も満身青々と輝き、頑固なほどの強さで様々な小さな命の営みを包み込む一本のけやき。その優しさに何度救われたことか。2010/06/05
  巨木

№97虞美人草・ナガミヒナゲシ・ポピー
 今年も庭先でオレンジ色の花が咲いている。英名「ポピー」。つぼみは最初、下向きで表面に毛が生えており、咲くときに顔を上げ、2つに割れて花が出てくる。その風情がケシのようでなんとも不思議。毎年5月に入るといつの間にか現れ、昔から「ナガミヒナゲシ」と呼ぶ。漱石の作品にも名を連ねるが、和名は虞美人草(ぐびじんそう)。中国歴史上の絶世の美女である虞美人にたとえ、漢の時代、最期の戦いのとき、項羽は愛する虞妃(ぐき)とともに劉邦の大軍にまわりを包囲された。項羽は別れの宴を開いてから最期の出撃をし、虞妃も自刃して殉じたが、彼女のお墓にヒナゲシの美しい花が咲いた。そこで人々はこの花を「虞美人草(ぐびじんそう)」と呼んだという。三つの素敵な名前を持つ花も珍しい。  2010/05/29
  ポピー

№96/口蹄疫(こうていえき)という非日常性 
 人に感染せず、感染した家畜の肉を食べても人体に影響ないという家畜の伝染病である口蹄疫(こうていえき)。宮崎県内の豚や牛の殺処分対象は、11万8千頭をはるかに超えてゆく見通し。ある畜産農家の悲痛に、「殺人事件が起きたような雰囲気だった。殺された牛を思うと涙も出なかった」と。殺処分対象を担う職員、相当強固な哲学を意識しないと人間性が破壊されてしまい、トラウマに苦しむだろう。様々なできごとが他人事、関係ないように見える毎日、01年にイギリスで大流行し、600万頭が殺処分され、社会的な混乱を招いた事件も、他人事、関係なくはなかったのですね。  2010/05/22
  

№95絵の具の黄色と青色を混ぜた色 
5月に入り、日に日に日差しが強くなり、まわりの景色もすっかり初夏の気配。見送った春の色は、菜の花に象徴されるように黄色、先に待つ夏の色は真っ青な青空。両者に挟まれたこの時期の5月から6月は、絵の具の黄色と青色を混ぜた色、美しい緑色の季節。葉桜の緑も生き生きと光輝いている。2010/05/13
  新緑

№94端午の節句・菖蒲の節句 
 菖蒲(しょうぶ)は、サトイモ科の多年草で、湿地帯に自生し、独特の芳香を放つ。邪気を祓(はら)うといわれ、端午の節句の行事として、菖蒲の葉を入れて沸かした菖蒲湯に入り、邪気祓いと疫病除けにいいと伝えられている。明日は、端午の節句。「端」は初めを表し、「午」はその音が五に通じることから、「端午」は5月最初の5の付く日という意味で、菖蒲の節句とも呼ばれる。国民の祝日に関する法律によると、「こどもの日」は、こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝すると定義されている。この法律のどこにも、父の一字は見当たらない。やはり母強しですね。 2010/05/04
  花菖蒲 (はなしょうぶ)

№93春雨じゃ、濡れてまいろう 
 「春雨じゃ、濡れてまいろう」は『月形半平太』の名台詞。春雨という言葉からは、煙るようなやわらかい春の雨を想像することができる。春の雨は数えきれないほどの呼び名がある。「雪解雨(ゆきどけあめ)」は、雪を解かして木々や草花の芽生えを促す雨。「桜雨(さくらあめ)」は、桜が咲く頃に降る雨。「育花雨(いくかあめ)」は、花の生育を促す春の雨。「甘雨(かんう)」は、草木に柔らかく降りそそぐ春の雨。忙しい中でも、季節の変化を敏感に感じていたいですね。 2010/04/23 
  藤 (ふじ)

№92/井上ひさし氏のご冥福を祈る 
 4月は、どんな月? 春暖、春眠、桜祭り、花冷え等のことばが浮かびますが、ひと言で表わしたら、出会いの季節。しかし、哀しい別れもある。13日(火)の読売・朝日・中日・毎日・日経の朝刊一面コラム。すべてが一人作家を悼(いた)む記事。一面のコラムが一つの話題に集中することは、年に10件にも満たない。生前の彼曰(いわ)く。「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」、「悩みごとや悲しみは最初からあるが、喜びはだれかが作らねばならない。この喜びの種である笑いを作り出すのが私の務めです」、「日本語は主語を隠(かく)し、責任を曖昧(あいまい)にするのに都合が良い。その曖昧(あいまい)に紛れて多くの人が戦争責任から遁走(とんそう)した」と。多くの希望と笑いを遺してくれた井上ひさし氏のご冥福を祈る。 2010/04/14
  蓮華草 (れんげそう)

№91/清楚な梨の花 
 
梨の花、見たことありますか? 梨の実である「幸水」「豊水」や「二十世紀」は知っていても、梨の花って、意外と知られていない。4月、桜から1週間ほど遅れて開花する白い花。3月に新芽が伸びたと思うと、4月になって一斉に花が咲く。風があると実が実らないことから、ネットや竹柵に覆われていることが多く、桜の華やかさの陰に隠れて、私たちの眼に留まりにくい。4月の明るい日差しに似合うが、その清楚な美しい姿を私たちの前に現してくれることが少ない。それとも、私たちが気づかないのか、私たちには見えないだけなのか。桜といっしょで、一斉に咲く華やかさと危うさを秘めている。 2010/04/10
  

№90/春はセンバツから 
 
作詞家の故阿久悠が好んだフレーズ「春はセンバツから」。センバツが始まるといよいよ春の到来を実感し、決勝戦と桜の満開の時期が重なり、春たけなわを迎える。勝ち続けられるのは、一校のみ。しかし、敗者にこそドラマがある。「潔い敗者」という言葉がある。英語ではグッド・ルーザー(Good Loser)。試合に敗れたとしても、これまで懸命に努力してきたことに自信を持ち、潔い態度で勝者を讃えるといった態度。たとえば、12年前の長野冬季オリンピックの団体ジャンプ競技。奇跡的な大逆転で日本チームの優勝が確定した瞬間、2位になったドイツ選手が日本選手の元に駆け寄り、肩車をして祝福したそうです。ドイツチームの選手曰く。「私たちは最高のジャンプをしました。悔いはありません。しかし、日本チームのジャンプはそれ以上だった。彼らの優勝を心から祝福したい」と。全力を尽くして戦った結果について、相手もそして自分も讃えることができる力。大事な心のバランスでしょうか。  2010/04/02
  花水木 (はなみずき)

№89/春の雲 
 
俳人正岡子規は「春雲は紮(わた)の如(ごと)く、夏雲は岩の如く、秋雲は砂の如く、冬雲は鉛の如く… 」と書いています。青空にぽっかり浮かぶ春の雲は、いよいよ太陽の光が強まって、大地を暖め、対流が起こりやすくなった証拠です。子規が春を感じた雲は積雲つまり綿雲。素敵な雲を眺めていると想像力が膨らんでいきます。以前、山頂で、上から雲海、雲の群れを眺めたときも、思わず“みんな元気そうだなあ”と声をかけてしまいそうでした。  2010/03/19                                                     
  蒲公英 (たんぽぽ)

№88/光の春の実感 
 
春とは不思議である。気象予報士の草分けの倉嶋厚氏が“光の春”と表現しているように、春は日差しから始まっていた。あたりが日に日に明るくなる。まわりに眼を向けながらゆっくり歩いていると、いつも見慣れていた景色が少しずつ違う風に見え、いままで見えなかったものが見えていることに気づく。春は歩いてみてはじめて実感する。 2010/03/13
  白木蓮 (はくもくれん)

№87/天候に左右される一日 
 
一間の自分の部屋とネットの世界が毎日の生きる空間のすべてであるニートの青年。ウェルカメ(NHKの朝の連続テレビ小説)の舞台となっている四国の港町がネットで募集した漁師の見習いとしてやってきた。生きること、生活することがこんなに毎日天候に左右されることに驚いたと。3月は、三寒四温のサイクルが短くなって、天候の変わりやすい時期。今週もしかり。春も青春も、明るくなったかと思うと暗くなり、まわりの景色が目まぐるしく変わり、巡っていきます。  2010/03/06    
  沈丁花(じんちょうげ)

№86/それぞれの涙と春一番
 
一つの物語を最初から最後まで完璧に演じきったキムヨナの充実の涙。さらに上を目指して、誰もなし得なかったトリプルアクセルに拘って挑戦し続け、後半疲れから少し乱れて、キムヨナに及ばなかった浅田真央の悔し涙。ライバルがいるということは素敵なことですね。真央も涙を流して、緊張の糸と硬い表情から解放された。涙というのは表情を柔らかくするんですね。東海地方では、春一番という地上の涙、春の嵐がすっかり硬く閉ざされた大地の表情を柔らかく、樹木の芽を覚ましたようです。いよいよ様々な生きる営みが活発になります。 2010/02/27                                           
  福寿草(ふくじゅそう)

№85/高橋大輔選手、銅メダルおめでとう 
高橋大輔選手、銅メダルおめでとう。スケーターとして致命的な膝の半月盤損傷を克服してのカムバックした力。最初の4回転の転倒からの立て直す力を生み出したのでしょう。本番直前練習では、2回とも失敗した4回転ジャンプ。リスクを冒しても、敢えて本番で4回転ジャンプに挑戦したところが凄い。結果的に転倒したが、高橋選手は納得できたにちがいない。迷って、もしあそこで4回転に挑戦しなかったら、後悔という財産しか残らなかったかもしれないからね。 2010/02/19                         
  満作(まんさく)

№84/冬のスポーツの祭典、バンクーバー開幕 
 いよいよ冬のスポーツの祭典、バンクーバーの開幕。夏のオリンピックのような派手さとは違う趣がある。天候に左右され、運のみならず、人間の力の及ばない自然の恵みと自然の気まぐれの中で競技が行われる。人間が万物の霊長とはいえ、人類の本来の在り方を問うようです。敗者が勝者を称え、勝者が敗者に気配りする、そんな光景を見たいですね。 2010/02/13
  白梅

№83/余寒お見舞い申し上げます
 
明日は節分の豆まきです。全国の鬼さんにとっては厄日。しかし鬼さんは怖い。きっと鬼さんの復讐がある。夢の中で歩いているところを不意に待ち伏せしていて、黒いトゲのついた棍棒(こんぼう)で復讐される。寝る前に「鬼さんごめんね」と一言。さて翌4日は立春。節分は暦の冬と春の季節を分けるという。立春以後はいくら寒くても余寒と呼ぶのが昔からのならわし。これは立秋(今年は、8月7日)以後の暑さを残暑と呼ぶのと同じです。「寒中見舞い」は遅くとも「節分」まで。「暑中見舞い」も「立秋」を境に「残暑見舞い」になるように、明日から余寒お見舞い申し上げますです。 2010/02/02
  金の成る木(かねのなるき)

№82/節分の恵方巻き 
 
来週の2月3日は節分、4日は立春です。立春は冬至(12月22日)と春分(3月21日)の真ん中に当たる日で、その前日の節分が、「冬と春の節を分ける日」。平成になって近年でしょうか、節分の日に食べると良いとされる縁起物が恵方巻き。カニやカズノコ、イクラなどを彩りよく豪華に巻いたものもあります。目を閉じて願い事を思い浮かべながら、今年の恵方の西南西に向かい、無心で丸かぶりするのが恵方巻きの風習だそうです。 2010/01/30                                             
黄梅(おうばい)

№81/風 
 
どこから来たのか、どこへ行くのか誰も知らない。煙突で笛を吹き、炎を力づけ、背に雲を負い、茅(カヤ)はその前に頭を垂れ、木々はその噂をする。はて何でしょう。これは『世界なぞなぞ大辞典』に載っているハンガリーの「なぞなぞ」で、答えは風です。第7回安城凧あげ大会が矢作川河川敷で1月31日(日)にあります。一般参加も可能で、9時受付開始です。北風とあそぶ凧をじっと眺めているとホッとします。次第に自分の時計が回りだして、静かに力が湧いてくるような気持になります。 2010/01/23
藪椿(やぶつばき)

№80/オリオン座と冬の大三角 
 
家路に着いて、玄関の前で南東の空を見上げるとホッとする。冬の愉しみの一つである。最もなじみ深い星座の一つ、冬のオリオンが悠然と輝いているのだ。ウルトラマンの故郷、M78星雲もこの星座の中にある。一等星のベテルギウスとこいぬ座のプロキオン、おおいぬ座のシリウスは、天空に「冬の大三角」を描き出す。夜空では、九番目に明るい星だそうですが、その星の寿命が、そろそろ尽きるという。直径が太陽の千倍もある超巨星は、重すぎて、短命。巨星ゆえ、やがてひと時のまばゆい光とともに消えていくらしい。そうなれば、オリオン座の形が変わり、冬の大三角は解消される。とても想像できないが、やがて宇宙の地図を塗り替える大事件です。 2010/1/18
蝋梅(ろうばい)

№77/丑年を振り返って 
 明日、明後日と過ごせば、いよいよ師走です。日頃は、有り余るほど時間がいっぱいあるように感じますが、12月を迎えると、今年が暮れてゆく実感もひとしおです。しかし、本来可処分時間(自分が自由の使うことができる時間)なんていうのは、そんなにあるものではない。丑年に起こったことに何があったか、丑年にできたことに何があったか、振り返ってしまいます。せめてこの年にあと二つ、考えをじっくり巡らしたいですね。 2009/11/28
しゃこばサボテン

№76/変わらぬ秋の愉しみ 
 先日、柿を一箱買ってきた。相当な数。「芸術の秋」、「スポーツの秋」、「実りの秋」と様々ある中で、食欲の秋に一番親しみを感じる。何を食べても美味い時季なのであろう。小さい頃、秋の愉しみといえば、柿をたらふく食べられることであった。近所にミカンの木も、リンゴの木も、なしの木もあったが、どれも不味かった。ただ柿だけは、今も昔も変わらず、美味しい。スーパーでおやつを買うなんてことがなかった時代、身体が覚えている秋の愉しみである。いまでは毎年の恒例の行事、冬に備えて、柿をたらふく食べて、秋を存分に愉しみたい。愛犬の「ごえもん」に皮をむいてやるから、おまえも食べるかいといったら、何と「ごえもん」が答えた。「食ワン、食ワン」と。 2009/11/14 
ビオラ

№75/夢中で読んだ一冊の興奮 
 読書週間も来週の9日(月)まで。アメリカの老富豪があるとき、「全財産をはたいてもかなえたい望みはあるか」と聞かれたそうだ。その答え、「大好きな『ハックルベリー・フィンの冒険』をまだ読んでいない状態に戻してほしい」と。富豪は少年時代に夢中で読んだのだろう。いま読み返しても、まっさらで読んだあの興奮はよみがえらない。だから、もう一度――。こんな一冊のある人は幸せですね。いよいよ晩秋。これから夜の長い冬に向けてが、本と向き合うには一番いい季節です。 2009/11/06
パンジー

№74/コーラスの魅力 
台風のシーズンもいよいよ終わり。04年の台風23号で、洪水の一夜を観光バスの屋根で明かした中島明子さんの新刊『バス水没事故 幸せをくれた10時間』(朝日新聞出版) 京都府舞鶴市の国道で立ち往生したバス。乗り合わせた37人の平均年齢は60代半ばだった。濁流が車内に満ちる中、割った窓から全員が屋根に。水は屋根を越え、立ちすくむ人々の腰に迫った。流されぬよう隣と肩や腕を組み、ひと固まりになった 思いやりは思いやりを生む。暗闇で体を温め合ううち、みんな一緒に助かるぞという連帯感が広がったという。「上を向いて歩こう」の合唱で睡魔に耐えた話はよく知られる。音頭を取った中島さんは、即興で2番の歌詞を替えた。〈幸せはバスの上に/幸せは水の中に……〉(10月26日付天声人語より)。サッカー・野球にもなく、オケ・吹奏楽にもないコーラスの魅力って、何? 『いつどこでも、ハーモニーを奏でると、お互いが通じ合える。』合唱の独自の力ですね。2009/10/30                         
浜菊(はまぎく)

№73/インフルエンザという非日常性
『インフルエンザから生還して』 
インフルエンザに罹(かか)った もしやと気づいたときには遅かった 高熱にうなされていくうちに、懐かしい景色を彷徨(さまよ)っていた やがて疲れて、様ざまなことがどうでもよくなった 生きていたしがらみから解放された 峠を越えた頃、哲学者になっていた それから、時間がゆっくり流れた インフルエンザから生還してみると、何かが少し変わった しばらくの間、まわりの景色も変わって見えた  /かってインフルエンザから立ち直ったときの一週間の心の軌跡を思い出して作ったものです。私たちの周りには、本来非日常的な大きな出来事が、時々ある。10月8日早暁、西三河に再上陸した台風8号のときもそうです。台風の目に入る前の3時過ぎからの暴風雨の凄まじさと入った5時から6時の不穏な静けさの恐怖は記憶に生々しい。忘れかけていた感覚です。自然災害や人災、不慮の死別そして極度な人間関係のトラブルなど、突然、非日常性に出会うことは当然ありえる。それによって自分を見失う人もおれば、本来の自分・自分の力を取り戻す人もいる。 非日常性への免疫は、ある程度必要なのでしょう。 2009/10/23
藤袴(ふじばかま)

№72/ピークを迎える新型インフルエンザ 
9月始め、新型インフルエンザの感染増加により、薬局からマスクが消えた。早速、ネットでマスクを1000枚注文。たが入荷は10月下旬。先日、新型インフルエンザの感染者数が、推定20万人を超えるとの記事がありました。これから、いよいよピークを迎える矢先、我が家では、息子がサッカー部で受け取り、その洗礼を受けました。桜井中でも2年生の学年閉鎖が解除されたところ。ケアは、①隔離部屋でケア、②ケア担当者を決め、③ケアを終え部屋を出るたびにマスクを廃棄し、④その都度うがいと手洗いを徹底し、⑤ケア担当者は体調に十分な配慮を配るという5点、これに尽きます。我が家では、とりあえず第一波のケアが終わり、やがて1000枚のマスクが届くでしょうが、くれぐれもご自愛ください。 2009/10/16
菊(きく)

№70/少年の憧れと乙女の面影
 5~6年に一度やってくるシルバーウィーク(水曜日が秋分となる秋の5連休)、次は6年後、その次はさらに11年後。夏の疲れを癒し、ホッとするにはちょうどいい時期。今年最後の草取り(?)の合間に、南こうせつの『サマーピクニックINつま恋』のコンサートを見た。大して変りない世代なのに、ステージに現れるミュージシャンのなんと若々しいことか。還暦を迎えても変わらず少年の憧れを追っているこうせつ、来年還暦を迎えるのになお、乙女の面影を失わないイルカ。彼ら輩(やから)は、いつまでも夢を追い求めながら、少年の憧れと乙女の面影を失わない。2009/09/26  
彼岸花(ひがんばな)